PROJECT
相手が誰であれ、徹底的に議論して、
最善を選択する。
社会を変える技術は、
そこから生まれる。
半導体製造装置メーカーとして真のグローバルNo.1企業を目指す東京エレクトロン(TEL)。これまで困難だと思われていた革新的な装置や技術を次々と世の中に送り出してきた。今から25年ほど前、当時の半導体業界にとってエポックメイキングな製品の開発に挑んだのが、現在は顧問を務める保坂重敏だ。彼はまさに「TELの技術者」を体現している。
FUTURE
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顧問 保坂 重敏 Shigetoshi Hosaka
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半導体の進化を劇的に加速させたのは、
ある金属の成膜だった。

1990年代半ば、半導体業界は大きな転機を迎えていた。パソコンが爆発的な普及の兆しを見せ、主にコンピュータの記憶装置として使われる、DRAMと呼ばれる半導体メモリの需要も急増。コンピュータをより高性能、より低価格にするために、このDRAMについてもさらなる技術革新が求められていた。
DRAMを進化させるための鍵を握るのが「微細化」だ。その当時、DRAMの配線工程に、ある金属を成膜すると性能が格段に向上することが分かっていた。しかし、微細化が進み、それまで半導体の成膜工程で採用されていたPVD(金属を物理的に叩き出して成膜する技術)では、そのターゲットとなる金属を、微細なホールの中に薄く均一に成膜させることが難しくなっていた。一方で、CVDという化学反応によって成膜する方法ならば、理論上それが可能になる。半導体メーカーからは切望されていたものの、まだその金属については誰も実現しておらず、技術的には極めて困難だというのが業界の認識だった。そこにあえて挑んだのがTELであり、開発責任者の保坂だった。

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買収先の米国技術者との協働。
徹底的に議論して最善を追求。

しかし、この実現の前には巨大な壁が立ちはだかっていた。CVDでこの金属を成膜するには700度という高温で腐食性ガス原料を使って化学反応させる必要がある。さらにこの化学反応が厄介なのは、副生成物が大量に発生してパーティクルとなり半導体の良品率を大きく低下させてしまうことだ。温度が低いといたるところに付着してしまい、すぐに装置の機能が失われてしまう課題も抱えていた。すなわち、高レベルの耐高温性と耐食性を併せもったヒーターを開発し、ガス供給のシャワーヘッドから真空反応室内、さらに排気系統まで安定的に温度制御をしなければならなかったのだ。そんな量産装置はまだ世の中にはない。これらをどう実現していくのか。保坂は語る。「毎日プロジェクトメンバーたちと喧々諤々の議論を重ね、ひたすら試作と検証を繰り返した。会社も多くの研究開発費を投じてサポートしてくれた。まだ誰もやっていないことだが、技術的には実現可能だと皆が信じていたから。」
半導体産業の最先端を担う製造装置の研究開発は、まさに未知の領域を切り拓いていく挑戦。そこに投資や人員を惜しんでいるようではイノベーションなど生まれない。それがTELの流儀だと保坂は言う。
保坂らが苦闘しながら技術を確立していく一方、開発のスピードを上げるべく、TELはCVD成膜において重要な技術をもつ米国の半導体製造装置メーカーの戦略的な買収を決断。買収先企業のマネジメントも保坂が担うことになり、米国に出張を重ねた。
「最初は向こうの技術者たちから反発された。『なぜ日本から来たよく知らない人間の言うことを聞かなければならないのか』と。そこで私は彼らと徹底的に対話し、彼らがもっている技術を詳らかにしていった。その中で『あなたたちのこの技術は優れている』『この領域はわれわれのほうがリードしている』と説明。意識していたのは、立場など関係なく、技術的に何が最善なのかということだけだった」。いくら議論が紛糾しようと、そこから逃げることなく、保坂はこの未知なる装置の実現に向けて一直線に突き進んでいった。次第に買収先企業の技術者たちも、そうした保坂の姿勢を認めるようになっていった。
「ある時、向こうの技術者から『あなたほど“NO”とはっきり言う日本人は見たことがない』と言われたことがある。それはきっと私に対する一種の賛辞だったのだろう」と保坂は当時を振り返って笑う。

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スピリットは受け継がれ、
新たなイノベーションにつながっていく。

このCVD成膜装置の開発に当たって、保坂が味わった苦労は想像に難くない。大変な経験を重ねながら、なぜ保坂は困難に挑み続けることができたのか。
「このプロジェクトは、上長が私に現場での裁量をすべて委ねてくれて、自分のやりたいように開発を進められた。私自身は、絶対に実現できる技術だと確信していたからこそ突き進めた。技術者が諦めない限り、可能性はゼロにはならない」。そして保坂の指揮のもと、日米の技術者たちの知恵を結集し、耐食性があり、反応副生成物が付着しないように適正に温度制御されたCVDシステムを開発。また課題だった副生成物の処理は、装置内にあえて低温の箇所を設けることで一気に副生成物を堆積させる斬新な仕組みを編み出した。
こうして1990年代後半、業界待望のCVD成膜装置が世界に先駆けて市場に送り出された。その結果、DRAMの微細化が急激に進み、それがパソコンやデジタル機器の普及や通信の高速化を大きく後押しした。いまスマートフォンを手軽に利用できるのも、もとをたどればこのCVD成膜装置が大きく寄与しているとも言えるだろう。まさに人々の暮らしを大きく変える技術を、保坂らはつくり出したのだ。
その後、保坂はコーポレートの研究開発部門全体を率いる立場に就いたが、かつて自らがそうマネジメントされたように、メンバーたちに大きな裁量を与えていった。「以前、あるメンバーから『半導体装置にAIを導入したい』という提案があった。当時は今ほどAIが注目されておらず、私自身も懐疑的だったが、とにかく彼らの話を聞いてみることにした。彼らと徹底的に議論すると、非常に有望な技術だと分かり、開発を任せることに。技術が世の中にとって価値があるならば、チャレンジしない理由はない。実際に成果も挙がり、TELはAIに関する優れた特許もいくつか保有している」と誇らしげに語る。
保坂はかつて、プロジェクトを担う現場の技術者たちにいつもこう声をかけていたという。「まずは自分で考えて決めろ。でも困ったことがあれば言ってくれ」「技術者が諦めたらそれで終わりだ」と。保坂のスピリットはいま若い技術者たちに受け継がれ、そこからまた新たなイノベーションが生まれようとしている。

※本開発プロジェクトは、約25年前のものです。直近の開発プロジェクトは、機密情報を含むことから、情報公開ができかねるため、過去の開発プロジェクトをご紹介しております。しかしながら、開発における想いは過去も現在も変わりはありません。開発者の開発に対する想いを感じていただけますと幸いです。