画像:セールスエンジニア 画像:セールスエンジニア

人とのつながりを大切に、
TELの製品がもつ魅力を
世界中のお客さまに伝える。

セールスエンジニア

L.H

「やってごらん」から
勝ち取ったビジネス。

入社して2022年に育児休暇を取得するまで、私は半導体製造における成膜工程で使われる装置の営業をしていました。文系出身のため、入社後は技術分野の教育をしっかり受け、2年目から実務につきました。最初に担当したのは東日本エリア、その後5年間は台湾・中国を、その後2年間、韓国のお客さまを担当しました。半導体製造装置の営業は、まずお客さまのニーズやビジネス動向をヒアリングして、どのような装置や技術が求められているかを調査するところからスタートします。その上でお客さまに製品を売り込みに行きます。場合によってはお客さまから今までにはない新しい装置の依頼を受け、社内のマーケティング部やエンジニアとチームを組んで開発プロジェクトを立ち上げることもあります。お客さまへの提案から、試作機の設置と検証、実際に装置が納品されて売上が成立するまでに1年以上かかることも決して珍しくありません。装置の開発・導入には億単位の金額がかかるため、必然的に長い月日を要します。台湾・中国エリアを担当していたときに、それまでTEL製品の導入実績のなかったお客さまから「競合他社の製品を使っているが、実際はこんな技術がほしくて困っている」という声を聞きました。納期までに半年しか時間がなかったのですが、上司に相談したところ「やる気があるのだから、やってごらん」と背中を押していただいたのです。すぐにチームを組んで技術検証を繰り返し、お客さまとも毎日のように打ち合わせをしました。そして、納期ギリギリの半年後に装置が完成。競合他社の装置に代わり、当社の装置を採用していただくことができたのです。さらにこの装置がきっかけとなって、他の製品への問い合わせも増え、より広いビジネスにつながっていきました。

お客さまから依頼を受けた当初は、まさか他社製品からの入れ替えが実現できるとは思いませんでした。それだけに、チーム一丸となって頑張った成果が出たときは嬉しかったですね。これも私に時間とチャンスをくださったお客さまをはじめ、背中を押してくれた上司や、完成まで一緒に粘ってくれたチームのメンバーなど、人とのつながりがもたらしてくれたものだと感謝しています。責任は伴いますが、こうした億単位の大きいプロジェクトを任せてもらえることが、TELでの営業の醍醐味だと思います。

画像:作業風景
画像:作業風景

ダイバーシティが実現した、
働きやすい職場環境。

画像:作業風景

営業部時代に所属していたグループは、リーダー1名、私を含めた営業4名、そして営業をサポートするアシスタント6名。営業5名のうち女性が2名で、それぞれ国籍も違います。TELで働いてきて感じるのは、多様性が尊重されているということ。オフィスでは普段から英語や日本語、中国語が飛び交っていて、性別や国籍に関係なく仕事ができる環境が整っています。当時は、だいたい2週間に1回のペースで韓国に出張していました。月曜日の朝に赤坂本社へ出社して、グループミーティングを開いて営業メンバー内の状況を共有し、その夜のフライトで韓国へ。日本に戻ってくるのは金曜日の最終便というパターンが多かったです。出張でお客さまを訪問するときは、一人で行くこともありますし、エンジニアやマーケティング部に声をかけて同行してもらうことも。その都度、ベストな人員を自らアサインして行動しています。

当時は家族が台湾に住んでいたので、日本では会社の同僚や先輩が家族のような存在でした。プライベートで困ったときにサポートしてもらうこともありますし、週末には皆でバーベキューをすることもあります。私は「日本酒の会」に入っているので、週末に美味しい日本酒を楽しむことも。月曜から金曜日にしっかりと働けるのは、プライベートが充実しているからだと思います。

営業部時代に所属していたグループは、リーダー1名、私を含めた営業4名、そして営業をサポートするアシスタント6名。営業5名のうち女性が2名で、それぞれ国籍も違います。TELで働いてきて感じるのは、多様性が尊重されているということ。オフィスでは普段から英語や日本語、中国語が飛び交っていて、性別や国籍に関係なく仕事ができる環境が整っています。当時は、だいたい2週間に1回のペースで韓国に出張していました。月曜日の朝に赤坂本社へ出社して、グループミーティングを開いて営業メンバー内の状況を共有し、その夜のフライトで韓国へ。日本に戻ってくるのは金曜日の最終便というパターンが多かったです。出張でお客さまを訪問するときは、一人で行くこともありますし、エンジニアやマーケティング部に声をかけて同行してもらうことも。その都度、ベストな人員を自らアサインして行動しています。

当時は家族が台湾に住んでいたので、日本では会社の同僚や先輩が家族のような存在でした。プライベートで困ったときにサポートしてもらうこともありますし、週末には皆でバーベキューをすることもあります。私は「日本酒の会」に入っているので、週末に美味しい日本酒を楽しむことも。月曜から金曜日にしっかりと働けるのは、プライベートが充実しているからだと思います。

画像:作業風景

若手社員を引っ張っていける、
力強い存在になりたい。

半導体製造における技術進化のスピードは速く、今現在取り扱う技術は、私が新人だった10年前と比べると相当進んでいます。さらに3年先、5年先につくり出そうとしている技術はもっと進んだものになるでしょう。営業という立場だからこそ常に学ぶ姿勢が必要ですし、分からないことは周囲に聞いたりアドバイスを求めるようにしています。かつて先輩から「営業に必要なのは、誰に相談をすればよいか、誰に助けを求めたらよいかの引き出しを増やすこと」とアドバイスしてもらいました。課題が大きければ大きいほど一人で抱え込まず、必要なタイミングで必要なヘルプを受け、解決の糸口を探るよう心がけています。そのためには、日頃のコミュニケーションが重要。私はできるだけ社内の開発部隊に足を運び、エンジニアと顔を合わせて話すようにしています。

2023年に育児休暇から復職しました。現在は仕事と家庭や育児のバランスを考慮して、交渉の第一線に身を置く営業職ではなく、営業サポートや新製品の戦略策定をおこなうマーケティング職を担当しています。以前から技術やマーケティングなど営業職以外の分野についても経験を積んでいきたいと思っていたので、新領域の挑戦は新たな学びを得られる絶好の機会だととらえています。これまで営業職として培ってきた知見を、組織や後輩に還元していきたいですね。

画像:作業風景
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私のキャリアクロニクル

大学時代

大学院生として来日。
外国語大学で学ぶ。

外国語大学の大学院生として日本に来日し、異文化コミュニケーションおよび日中逐次通訳に関する考察研究に没頭していた。

2008

2つの不安を乗り越え、
プロジェクトを初担当。

日本語が母国語でなく、しかも文系出身という不安を持ちながらの営業デビュー。担当する装置の理解も、お客さまへのアプローチも全力で当たるしかない日々であった。しかし先輩のサポートを得て多くの方々と協働するうちに知識が増し、自身の成長を実感。社内外のネットワークも広がり、若手ながらプロジェクトを任されるようになった。

2021

グループリーダーに昇格、
マネジメントの経験を
積み始める。

営業のグループリーダー(課長職)にステップアップ。より高い視座から仕事をとらえ、営業戦略や売上動向をもとにチームを動かすマネージャーとして活動し始める。職務内容が大きく変わって責任もより大きくなったが、デビューの頃の不安を乗り越えた自信もあり、変化や挑戦を楽しみながら新たなポジションに取り組んだ。

2023

出産から復職、
マーケティング領域へ

育児休業制度を利用し、休職をして出産。復職後は14年間の営業職で積み重ねた経験やセールス感覚を生かし、営業活動のサポートや新製品の戦略策定をおこなうマーケティング職に異動した。初心に立ち返り、自分の価値とは何か、組織にどのように貢献できるかを考えながら新たなキャリアパスを歩んでいる。